私と故田中千香士先生との幼少期は、音楽という舞台では次元が違う人生でしたが、一つ共通点がありました。それは野球少年だったということです。私は、小学校4年生の時に野球を始め、めちゃくちゃ下手くそでしたが、毎日野球中継を観ながら、他の試合をラジオで聞くくらい野球が大好きでした。そして下手でも、野球教室が新しかったこともあり、ベンチではなく、今回のイチローと同じ、9番ライトでした。ヴァイオリンの先生から「将来は君は何になりたいの?」と言われれば「野球選手!巨人で4番です!」と言いはなち、ヴァイオリンの先生は、母曰く、とても悲しそうな顔をされていたらしいです。笑
そんな野球少年であった私は、投げ方を「今はなき、トルネード投法」の野茂英雄さんに憧れてよく真似をしておりました。そして、打法の真似は、「今はなき、振り子打法」(※現在は振り子打法では無いので、、)のイチローさんでした。
そんなイチローさんですが、私が留学しはじめた2002年に、同年にイチローさんも渡米しました。また、私の留学先であったポートランドは、イチローさんが住んでいたシアトルに近かったこともあり、イチローさんのことが留学生の間で噂されて、私の耳にも届いていました。蛇足として、同時期にいた大魔神佐々木さんが、シアトル時代、シアトルの宇和島屋周辺の日本人コミュニティで遊んでいる噂は、よく聞きました。
マリナーズのセーフコ・フィールドには、一回しか行きませんでした。ですが、ポートランドには、3Aの球場があり(球場名をPGEパークというのですが)PGEパークには週1ペースでよく行きました。PGEパークは、私のアパートから、歩いて1分でしたので。
PGEパークには、3Aにいた時の中村紀洋さんもよく来ていましたし、イチローさんも1度来ました。生イチローを見てとても感動したことは、守備の最中ずっと柔軟体操、ストレッチを行っていたことでした。イチローの凄さ、オーラを感じることが目の当たりに出来て幸せでした。そのとき、キャッチャーの城島さんも来ていて、背が大きかった記憶があります。
今回、マリナーズと一緒に凱旋帰国したイチローさん。東京ドームが盛り上がり、イチローさんがライトフライをキャッチするだけで、大歓声が湧き上がる。イチローが東京ドームの打席に立っただけで、私も色々な思い出を想い出し少し涙が出そうになりました。
イチローさんは、生涯引退されない方だと信じてきたので、ちょっとショックです。スポーツ選手は本当に寿命が短すぎます。40代からのプロ野球とか作れば良いのに、、と思います。若い人たちとは違った面白さを引き出してくれるような気がしますが、、
ヴァイオリニストは、歳を重ねるほど、あじのある良い音楽が出来てくると言われています。あじのある音楽出来るように火曜日もがんばります!