レッスンで賛否分かれる意見シリーズ⑬「才能の有無でヴァイオリンを続けるべき?続けないべき?」

我ながらセンシティブな恐ろしい題材にしましたが、才能というあやふやな言葉をテーマに、私のブログの中でも人気のある「レッスンで賛否分かれるシリーズ」を書き上げようと思います!

昨今、「ヴァイオリン」のレッスンを続けるかどうかを判断される基準を「才能の有無」で考えられる親御さんが多くいらっしゃいます。

習い事には、礼儀をはじめとする幾つかの理由と意義があると思います。

その中でも、生徒によく言うヴァイオリンを習う理由として、「学校の教科に「含まれない」習い事は、他の子が持ち合わせない「特別」な技術を習得することで、自信を持つことが出来て人生をより豊かにするんだよ。と言います。

最終的に「一芸は身を助ける」を身を持って体感してもらうことが最大の目的になります。

しかし、そんな「特別」であるハズの技術も、その技術を習っている子達(同士)の中に入ると、「普通」状態になってしまい、更には、他の子と比べると何かが劣っていると劣等感さえ感じはじめてしまう生徒や親御さんがいます。わたしもそうでした。

劣等感を感じ始めると、最終的に「才能」の有無を理由に、楽器の存続判断がなされる。という滑稽なことが世界中の各地で行われております。

才能ってなに?

そもそも、一般的に言われる「才能」ってなんなのでしょうか。

私も、才能という言葉に、騙されたのか、踊らされたのか、それとも支えられて来たのか分かりませんが(笑)先生や周りに言われた「才能」という言葉のおかげで、楽器を続け、職業にまでにしています。

留学時代に「若き才能」なんて言葉をアメリカの新聞に書かれたときには、調子にのりましたね〜(恥)調子にのったあとは、どうなったか言いませんが・・苦笑

そんな私もレッスンで生徒に対して「才能が有るね!」と、何らかの評価をしたいとき「才能」という言葉を多々使います。

私は、才能とは「その人の個性(キャラクター)」だと思います。

それは、家族から得たDNAかもしれませんし、先生を含める環境から得たものかもしれません。

この個性(才能)は、自分が気づかないと発揮できませんし、周りもその良さに気づいてあげないと持っている力を発揮することが出来ません。何故なら、才能あること、出来ることが、その人にとっては「ごく普通」のことだからです。

大事なのは、その才能に早く気付いて、磨き上げて、それを世の中のためにシェアすることが大事だと思います。

ヴァイオリンのおける才能は?

では、ヴァイオリンに関しての才能とはなんでしょうー?

敢えて一言で言えば「上達して輝く可能性」のことを皆さん指しているのだと私は思います。

ヴァイオリンに関する才能は多岐にわたると思います。

例えば、音感、表現力、姿勢、持ち方、体力、練習能力、集中力、環境、経済力、読譜力、興味、親や先生の言うことを聞く才能、など・・その他色々。

その中でも群を抜いて私が好きな才能は「楽器を弾くことが好き」という才能です。

これは、どんな才能にも勝ると思います!ただ、注意しなくてはならないのが、この才能は「練習が好き」という意味ではありません。楽器を弾くことが好きなのと、練習好きとは違うのです。練習好きは、根性があるかどうかなので別なのです。

才能は誰にでもある?

楽器の得手不得手は有るものの、才能は、誰にでもあります。

但し、才能が有ると言われたことない人が、その才能に気づくためには、努力していることが条件になります。

「上達して輝く可能性」は、努力している過程で気づくことが多いからです。

努力して上達して、振り返り、なぜ上達した理由を考える。そして、上達する未来を想像して「才能が有るかも?」となるのではないでしょうか?

また、こういう風に考える研究熱心なことも才能の1つだと思いますが!?

「どの子も育つ○○次第」

皆、才能があるんだよ!という大手ヴァイオリン教育機関である「才能教育スズキ・メソード」創始者故・鈴木慎一先生がよく仰っていた名言「どの子も育つ親次第」という言葉があります。わたしは、それを言うなら「どの子も育つ環境次第」と言いたいですね。

勿論、熱心な親御さんであることや、経済力も必要なこと大事かもしれませんが、環境も大事です。音出し不可の物件に住んでいて、楽器を上手くなろうとするのは、簡単では無いと思います。師匠が、やる気なければ、それも環境は良くないです。

才能って、バックグラウンド的な意味も持ち合わせているような気がします。

才能は必要なもの?

結論の前に断言してしまいますが(笑)、才能は、上達するためには必要だと思います。ただし、続けるため、楽しむためには、才能は、必ずしも必要ではありません。

もっと分かりやすく言えば、プロのヴァイオリニストになるためには、コンクールで良い結果を出すためには、才能はよりあれば有るほど有利な条件になります。何故なら、「上達して輝く可能性」が必要だからです。

しかし一方、ヴァイオリンを通じて、とにかく人生を豊富にして楽しみたいのだ!だから、ヴァイオリンを弾いているんだ!という方には、才能なんか必要ありません!むしろ、こういう奏者さんには、才能の有無は、考えてはいけない危険事項!?だと思います。

才能は一生続くもの?下手をすれば、無くなることも?

実はですね、ここだけの話ですが、どんな才能も薄れることがあるんです。
下手をすれば無くなることもあります。この話、注意事項です。

特に、神童のような才能溢れる子供が、青年期になるにつれて、嘘のように才能が薄れることがあります。かなりセンチティブな内容なのですが、実は、今回「才能」について取り上げたのは、この話をしたかったからです。ここをおおっぴらにすることで、これから先、才能溢れる生徒たちが、少しでも才能を失わずに維持出来ればと思います。

才能は、出たりなくなったりするもの?

とは、言ったものの、才能が突然薄れる生徒さんもいれば、逆に、イキナリ「才能」がピョコッと現れる生徒さんもいます。

その才能が変わるタイミングは、環境が理由になると思います。環境は、人生の中で、どうしても変わることを避けられない案件です。

具体的には言いにくいのですが、一番多い環境変化は、反抗期を迎える小学校高学年から中学2年までの時期が多いです。親御さんの言うことを突然聞かなくなったとき。引っ越しがあったとき、何かの事故、心と身体のバランスが崩れたとき、、

また、ヴァイオリンの場合、レッスン内での環境変化として、最も悩ましいこととして、読譜が関わってくることが1つの原因に挙げられます。

それまで才能あった生徒が、楽譜が読めないことが理由で、成長率が鈍化して、楽器に対するモチベーションが落ち、才能が落ちるということがあります。逆に、楽譜を読めるようになってしまったために、頭が機械化して、表現力がガクッと下がり才能を感じなくなることもあります。

他には、コンクールで、自信喪失してしまったために、才能まで喪失してしまう生徒もいます。心が弱い、と言わればそれまでですが、そこを上手く支えることも大事で、本当に才能は周りにも支えられないといけないものなのかもしれません。

才能を維持するためには、先ずはその才能がなんなのか。どこから来ているものなのかを気付かなくてなりません(出来れば先生が)。そして、その才能を最大限に尊重して褒めて固めることです。確固たる自信にさせることが大事だと思います。一生、その才能を頼りにすること。才能を信頼して、より豊かな人生を送れるようにさせてあげること、そしてその才能を世の中にシェアして役に立たせることが大事だと思います。

とにかく、才能は、自分では「当たり前なもの」で「凄くもなんともない」ので気付き難いものです。子供なら尚更です。周囲の大人が才能を、オリンピックの火のように大事にしなくてはならないと強く思います。

「才能の有無でヴァイオリンを続けるべき?辞めるべき?」

さて、才能について思う存分語らせてもらいましたが、最後に才能の有無でヴァイオリンを続けるべきか、そうでないか?という問いにお答えさせていただきます!

わたしは「才能の有無で、習い事の存続は判断してはならない」と思います。

なぜなら、習い事の目的が才能の有無以外に沢山あるからです。

しかし、親御さんが、続けてきたけど、才能が無いから・・と、どうしても思ってしまわれるなら「続けられる才能」という才能を再発見するべきだと思います。

「続ける」ことがどれほど大変か。そして今まで続けてきたという才能を自画自賛し、リスペクトするべきだと強く思います。

池袋コミカレでの前任の故雨森朝子先生が「継続は力なりですよ!」と常々仰っていたように、継続することの意義も再考されては如何でしょう!?

最後に、私が求める「才能」の意義として、「○○が上達して輝く可能性」も良いですが、「○○が楽しめて輝く可能性」という方が理想で、万々歳かな?と思います!(完)

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